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日本シリーズ初完封【高橋奎二】高校時代のあだ名は”赤ちゃん”!?

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野球日本シリーズ2021年が

11月20日より開幕した

第2戦を迎えたオリックス対ヤクルト戦で

プロ初完投初完封を達成したヤクルトの高橋奎二投手

 

日本シリーズという大舞台で頼もしい

ピッチングを見せた高橋選手だが

実は高校時代のあだ名は”赤ちゃん”だった!?

この記事では高校時代の髙橋選手のエピソードを

まとめました

高橋選手のプロフィール

名前:高橋 奎二(たかはし けいじ)

生年月日:1997年5月14日

出身:京都府

身長:178cm

体重:73kg

プロ入り時:

2015年のドラフトでヤクルトから

3位指名を受け、プロ野球界へ

2018年にピッチャーとして

対ベイスターズ戦に出場しプロ初勝利を果たしました

高校時代の高橋選手

小学校から野球を始めた高橋選手

その後、中学時代は軟式野球部に所属

高校からの誘いはなかったという

そんな中、中学3年生の時に見学へ行った

【龍谷大学付属平安高等学校】

そこで、当時の監督から

「平安で野球がしたいのか」と聞かれ

「やりたいです!」と入学を決めたそうです

とはいえ、周りにはすごい選手が大勢いたので

このままでは通用しないな…

と思った高橋選手は、やるしかない!と

覚悟を決めた

甲子園出場回数日本一

龍谷大平安は100年以上続く野球の名門校で

春夏通算、甲子園出場回数日本一でした

自身も4試合に登板した2年春の大会では

チーム初優勝を果たし、春夏通算で72回96勝と

甲子園で100勝まであと4勝

【甲子園100勝】を目指し

チーム一眼となって頑張っていました

そんな偉大なる記録を持つ同校で

1年の秋からベンチ入りをした高橋選手

2年生春の選抜大会では4試合で投げ

チーム初優勝に貢献、3年になった高橋選手は

歴史あるチームのエースナンバーを引き継いだ

高く足をあげて投げるフォームから

メジャーリーガー ノーラン・ライアンにちなみ

世間では”平安のライアン”とも呼ばれていた

あだ名が”赤ちゃん”だったのは本当?

そんな歴史ある名門校で、甲子園100勝という

偉大なる記録を託された高橋選手

実は”赤ちゃん”と呼ばれていたそうで

名付けたのは、当時監督就任23年めの

原田英彦監督

「幼いんですよね、まだまだ考え方が」

「可愛い顔もしてるんで…赤ちゃんと呼んでます」

と語る原田監督

「まだまだ弱いところが出てしまう」

「それがなくなれば、赤ちゃんとは

呼ばれなくなるかな…」と語った高橋選手は

毎日の厳しい練習を耐え抜き

次第に、自分の弱さを克服していく

そして手にした念願のエースナンバー”1”

そんな1番を背負い登板した甲子園選抜大会では

1回戦の対浦和学院高等学校との対戦で

惜しくも延長の末、破れた

その後最後の夏の大会では、甲子園目前の

京都府大会4回戦で敗退

甲子園100勝の夢は叶わなかった

まとめ

甲子園で100勝という夢を果たせなかった高橋選手は

当時の悔しさを今も忘れずにプレーしているという

そして、その悔しさをバネに頑張り続けた高橋選手が

見せてくれた今回の【プロ初完封勝利】

その姿に、弱い弱いと言われ、監督から”赤ちゃん”と呼ばれていた

当時の彼の姿は微塵もなかった

今や、チームの代表のみならず

今後の日本を背負っていく頼もしい選手に成長した高橋選手

もう彼を”赤ちゃん”などと呼ぶ人は

誰もいないだろう

今後の彼の活躍も大いに楽しみにしたい

 

 

 

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